CHAPTER 06 粋

祇園に息づく雅を、未来へ。

「帝国ホテル 京都」が開業する京都・祇園では、いにしえからの伝統が今もなお大切に受け継がれています。その偉大なる担い手の一人が、京舞井上流の五世家元で、人間国宝の井上八千代さん。ご本人へのインタビューを通して、花街・祇園甲部とは切っても切れぬ京舞を伝承する心映えや、京の粋(すい)を守るための覚悟を伺い、現在進行形の“祇園らしさ”をお伝えします。

歴史と伝統を脈々と受け継いで

日本舞踊の一つである京舞井上流。その歴史は江戸時代の後期に遡ると言います。

「京舞井上流を始めたのは井上サトという人です。はっきりわかっていないことも多いのですが、生まれは江戸時代の明和4年(1767年)。15歳の時に行儀見習いとして近衛家に上がり、普通の生活では見られない宮中の行事や、様々な芸能に接するという機会にあずかりました。それが井上流の基盤になったようです。“八千代”という名跡は、そこでお仕えしていた方から『そなたのことは玉椿(たまつばき)の八千代にかけて忘れぬ』という言葉を頂戴したことに由来しています」

井上流の特徴の一つが“能楽との結びつき”です。

「二世のアヤは能楽や文楽への造詣が深かったそうです。とくに能については京都を拠点とする金剛流の野村三次郎さんに私淑し、能の曲を井上流のレパートリーとしてたくさん取り入れました。『八島(やしま)』『葵上(あおいのうえ)』『珠取海女(たまとりあま)』『鉄輪(かなわ)』などがまさにそれです。重心を水平に保ちながら足を床から離さず滑るように移動する“すり足”を基本動作としております」

祇園との深い結び付きも井上流ならでは。祇園甲部の芸妓と舞妓は井上流の稽古に励み、その成果が京都の春の風物詩「都をどり」で披露されています。

「祇園と切っても切れぬご縁を頂戴したのは三世の春子です。明治5年(1872年)、東京遷都によってさびれてしまった京都を復興するために日本で初の万博が開催されましたが、その附博覧(つけはくらん=博覧会の余興)として今で言う『都をどり』が企画されて、春子が振り付けや指導を担当したそうです。この時、井上流は祇園を出ず、祇園には他の流派を入れないという取り決めが交わされたと言われております」

移りゆく時代に対する“変わらない誇り”

祖母にあたる四世に憧れて芸の道に進み、五世家元となった井上八千代さん。自らが伝承する井上流を「雅(みやび)な京都の流れを汲んだ舞」と表現します。「雅」こそが井上流の本義だそうです。

「日本舞踊には、歌舞伎舞踊の技法を基本とした舞踊や、革新的な作品を次々と生み出す舞踊など色々な流派がありますが、井上流は上方の座敷で発展したもので “舞”にすべてを込めます。先ほども申し上げましたが水平の動きが多く、顔で表情を作ることがないので、見ようによっては地味で、とっつきの悪いものになるかもしれません。それでもやはり私どもは心に思ったことを舞によって表すことを目標にしております」

作り込むことなく感情を表現するには高度な精神性と感性が求められそうですが、稽古中、井上さんは「対象物をしっかりイメージして舞うように指導している」と言います。

「川なのか、山なのか。自分の視線の先に何が見えているのかを理解しながら舞うと、所作には自ずと内面が滲み出てきます。人間は慣れる生き物ですが、常に基本に立ち返り、目の前のことに謙虚な気持ちで取り組む。そして、その地道な努力を積み重ねることで芸を上達させる。それには“平らかな心”を育むことも必要。そんなことを考えながら、舞妓さんや芸妓さんの指導にあたっております」

希望と伝統が織りなす新しい風景

時代が移りゆく中で祇園の町並みも変貌しつつありますが、井上さんは「祇園は観光地として形骸化するのではなく、京都の粋(すい)を感じられるところであり続けてほしい。そのためには空気を入れ替えることも大事」と語ります。

「舞妓さん、芸妓さんがいて、お茶屋さんというシステムがあって、町全体で日本の文化を伝えることができる。そんな場所は特殊なのと違いますか。どんな時代になろうとも、祇園にはその個性を守り抜いてもらいたいと思います。ただし、工夫を怠れば世の中から置き去りにされることでしょう。後世に受け継がれるためには新しい考えが加わって洗練されなければなりません。千年ものあいだ日本の都であった京都は、常に国内外から人々が集まる都市であり、新しい文化やアイデアを受け入れる土壌を持ち合わせています。

帝国ホテルが祇園においでいただくことが決まった時は、大変うれしく思いました。個人的なことになりますが、その昔、私は帝国ホテルで結婚式を挙げました。今年は行かれませんでしたが、ほぼ毎年、家族揃って上高地の帝国ホテルにお世話になっております。その伝統のおもてなしを肌で感じているだけに、他のどのホテルがお見えになるよりも相応しいと感じました」

歴史と文化が奏でる調和の場所

井上さんは「帝国ホテルと祇園町は親和性が高い」と言いますが、どんな共通点を見出しているのでしょう。

「帝国ホテルは時代を超えても変わることのないおもてなしで愛される老舗のホテルだと認識しております。一方、祇園も歴史と伝統が醸し出す古めかしさを留める町です。伝統を受け継ぐには、その当事者でなければわからない難しさや苦労があるもの。江戸時代末期から続く私どもの井上流も同じです。訴えかけの強くない舞を追求する流派ながら、やはりお客さまに喜んでいただくために何を守り、何を変えるかを真摯に探らなければなりません。そういう意味で祇園と帝国ホテルは理解し合えるのではないかと思います」

では、この先、「帝国ホテル 京都」と祇園町がどのように連携することを望むのでしょうか。

「帝国ホテルさんは、京都の良さ、祇園の良さを十分にご理解いただけるお相手だと信じております。どのような調和が叶うのか、実際にホテルが開業してみないことにはわかりませんが、祇園甲部歌舞練場とは同じ敷地の中にあるもの同士ですので、ぜひお互いに情報を共有しながら歴史を刻み、伝統を維持していただきたい。日々完成に近づく建物を拝見しながら期待しているところです」

花街文化の晴れ舞台・歌舞練場に寄り添って、
祇園の町に憩いを届けたもうひとつの舞台、弥栄会館。
堂々と聳えるその姿も、この地で愛されてきた記憶も失うことなく、
これからも誰かの物語を綴る舞台であり続けるために。

「弥栄会館」は「帝国ホテル 京都」へ。

令和八年、ふたたび開場。次は、あなたの寛ぎの舞台へ。

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