帝国ホテル 京都を知る~CHAPTER 03~
共創Synergy

祇園の現在地、帝国ホテルと紡ぐ未来。
江戸時代より八坂神社の門前で花街として栄えてきた祇園。由緒あるお茶屋や料亭が立ち並び、その歴史と伝統を今に伝える一方、時代が移り、人々の生活が変わる中で、徐々に変貌を遂げてきたといいます。時代の要請に応えながら上質なおもてなしを目指す帝国ホテルは、2026年春、地域のランドマークとして親しまれてきた弥栄会館を継承し、「帝国ホテル 京都」として再生させますが、では、そこでどんな未来を紡いでいくべきでしょうか。今回は祇園の歴史を振り返りつつ、この地を見守ってきた方々に帝国ホテルへの期待を伺い、共創のかたちを探ります。
少しずつ変化してきた祇園の姿
鴨川に架かる四条大橋の東のたもとから八坂神社の西楼門までを結ぶ四条通の南北に広がる祇園町。江戸時代からは八坂神社や清水寺への参詣客を相手に水茶屋が軒を並べる門前町となり、その後、花街文化が発展。多くの芸妓や舞妓が活躍し、花見小路や白川沿いに風情溢れる町並みが形成されました。
明治時代以降は、近代化の波を受けながらも、その伝統的な文化と風情を維持。花見小路に祇園甲部歌舞練場が建てられて都をどりが始まり、さらに八坂神社の祭礼である祇園祭の規模が拡大したことから、祇園の町の存在が全国的に知られるところとなりました。そして、昭和11年には弥栄会館が竣工。祇園は幸いにも戦災を免れ、その格調高い街並みは多くの観光客を魅了し続けています。
特別な場所ではなく、日常に溶け込む祇園のシンボル
今日の祇園は京都随一の観光地としていつにない賑わいを見せています。とくにあでやかな衣装を纏った芸妓や舞妓が行き交う花見小路は、外国人にも大人気。帝国ホテルが継承する弥栄会館も、まさにその通り沿いにあります。
一方で、この町は地元の方々の生活の場としても機能しています。芸妓や舞妓を支える置屋があり、さらにその暮らしを支える食品店、雑貨店、服飾店、喫茶店などもあります。祇園に根ざす人々にとって、ランドマークである弥栄会館はどんな存在なのでしょうか。ここで生まれ育ち、現在はお茶屋「京屋」の女将を務めるてる子さんはこう言います。
「私らにとって、弥栄会館はあくまで日常の延長線上にあるもの。映画館やビアガーデンに利用されていた頃には足を運びましたが、そのために着飾ったり、記念撮影をしたりするような特別な場所ではありませんでした。なので、昔の写真を見せてほしいと言われても、持ち合わせがない。それだけ祇園で暮らす人々の普段の生活に溶け込んでいたのです」
ゆったりとした時間が流れてくれたなら、ありがたい
「祇園に帝国ホテルさんが来てくれると知って、ほっとしました」と話すのは、八坂神社の石段下に店を構える「いづ重」の北村典生さんです。明治末年の創業以来、“京寿司”の文化を守り伝統の味を受け継いできた同店の4代目当主であり、祇園商店街振興組合の理事長も務めておられます。
「四条大橋から八坂神社の石段下まで続く四条通沿いの商店街には、約120軒の店が立ち並んでいます。中には創業から300年以上になる老舗もありますが、弥栄会館が帝国ホテル 京都として生まれ変わることについて、皆、一様に期待を寄せています。京都の人は歴史のあるものを信用するところがありますし、帝国ホテルさんとなら、“日本の美意識に出会える町”としての祇園の矜持を保てるのではないかと思いました」
日本の美意識に出会える町――。確かに、「いづ重」のお料理を拝見しても、例えば、えび、小鯛、厚焼き卵など彩り豊かな具材が市松模様を作る上箱寿司は端正で美しく、また、包み紙にもおもてなしの心が感じられます。
店内にも歴史や伝統を重んじる日本人らしさが見て取れます。そのひとつが、北村さんがお話をなさる傍にある見事な火鉢。「歌舞練場を建てるために切らざるをえなかったモミジの木を活用したものです」。それから、店の奥の厨房に鎮座する 年季の入った“おくどさん(=京言葉で「かまど」)”。店の敷地から湧き出た水を用いて、お米やお揚げさんを炊くのに使い続けているそうです。
「美しい祇園の姿を残したい。残そうと各方面に働きかけているのですが、近頃は時代のスピードが早すぎて、追いつかないと感じることばかり。祇園の中心に帝国ホテル 京都ができることによって、この町にゆったりとした空気が広がってくれたなら。良い循環が生まれて、この参道も清々しくなるのではないかと思っています」
中に入らないと魅力がわからない祇園の入り口として
北村さんは「残したい美しさとは、見せかけのものではない」とおっしゃいます。そこで最後に、帝国ホテル 京都とどのように共創していきたいかを尋ねると、こんなお話をしてくださいました。
「今、私どものところも含めて東山地区にある商店街などの有志がまとまって、地域の清掃活動を行っています。町をきれいにするのはもちろんのこと、心の中もきれいになったらいいなという願いを込めて。祇園は聖と俗が同居する特殊な場所だと思うのです。八坂神社が聖なるところで、それに引っ付く祇園は人の世の究極。つまり、人と人との心の通い合いが祇園らしさ。心を良くする仕掛けづくりを、帝国ホテル 京都に担っていただけたらうれしいですね」
花街文化の晴れ舞台・歌舞練場に寄り添って、
祇園の町に憩いを届けたもうひとつの舞台、弥栄会館。
堂々と聳えるその姿も、この地で愛されてきた記憶も失うことなく、
これからも誰かの物語を綴る舞台であり続けるために。
「弥栄会館」は「帝国ホテル 京都」へ。
令和八年、ふたたび開場。次は、あなたの寛ぎの舞台へ。