帝国ホテル

帝国ホテル 京都を知る~CHAPTER 04~

寛ぎComfort

“古いものが、新しい”素材がもたらす寛ぎの空間

京都・祇園甲部歌舞練場の敷地内にある国の登録有形文化財「弥栄会館」の建物の一部を保存活用し、新たに誕生する「帝国ホテル 京都」。その内装を手がけるのは、榊田倫之さんと杉本博司さんが設立した「新素材研究所」。日本古来の自然素材や工法を使用したデザインで高く評価される同社は、帝国ホテル 京都の寛ぎの空間をいかにして生み出すのか。内装デザインを担う榊田さんにお話を伺いました。

新素材研究所と本プロジェクトとの親和性

榊田さんは滋賀県のご出身。京都工芸繊維大学大学院で建築学を専攻した、京都にゆかりのある人物です。

帝国ホテル 京都の内装デザインを検討するにあたり、新素材研究所の“古いものが、新しい”という考え方に共感しました。本プロジェクトは、1936年(昭和11年)に日本を象徴する伝統と文化が息づく京都・祇園で竣工して以来、地元の人達や観光客に地域のランドマークとして親しまれてきた歴史的建造物を継承しつつ、新たな価値の創出に挑戦するものであり、非常に親和性が高いと判断したのです。

なぜ、“古いものが、新しい”というコンセプトが生まれたのでしょうか。榊田さんは次のように説明します。

「歴史の舞台になった滋賀や京都で多感な時期を過ごした私はもともと古いものに価値を見出したいと考えていますが、それに加えて共同設立者である杉本博司の影響も色濃く現れています。古美術の蒐集家でもある彼は、日本の古きものに対する造詣が非常に深い。また、“時間”をテーマに創作活動を行っているので、新素材研究所のデザインの思想には“時の経過”が大きく関与しています。

その表現に欠かせないのが“旧素材”です。我々は日本が高度経済成長を遂げる中で淘汰されてしまった日本の古き良き建材や工法に光を当てて、空間を再編集しています。この理念を、2021年に発表した第一作品集を通じて『Old Is New』と表現しました。銀座・和光(東京都)や小田垣商店(兵庫県)が古建築を生かした改修プロジェクトのいい例です。

産業革命以降、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動や日本の民藝運動など手仕事への回帰が行われてきましたが、モダニズム建築が提唱されてから約100年が経った今、そのコンテクストにはある種の閉塞感が漂い、古いものを愛でるという風潮が強まっていると言えるでしょう。それゆえに、Old Is Newという考え方への共感が得られるのではないかと思いました」

この“古いものが、新しい”を踏まえて、帝国ホテル 京都の空間の作法を提案するために、三つのテーマが掲げられました。一つ目は“時間と記憶の継承”。二つ目は“新旧の調和と対比”。三つ目は“歴史を語る素材と意匠”です。

「膨大な時間の蓄積を持つ京都において、1936年に竣工した弥栄会館の美しさを保ちつつ100年先、200年先も時間を紡いでいけるように強度を高めること。そして、一時の流行によるものではない日本人の感性に宿る美意識を追求すること。さらに、弥栄会館が人々の集いの場所であったという記憶の断片を丁寧に編み込もうと考え、“時間と記憶の継承”を掲げました。

“新旧の調和と対比”は、古いものを愛でると同時に、新しいものを受け入れる文化が根付く京都の土地柄から導いたものです。様式的な作法を押さえた上で、洗練されたディテールを大切にしたいと考えました。

また、日本を代表するホテルが、京都に開業することの意味も追求したい。そのためには日本の素材を中心に組み立てるのがふさわしいでしょう。話がそれますが、弥栄会館と同じく1936年に完成した国会議事堂にも日本産の大理石をはじめ、日本の素晴らしい素材が使われています。そこには日本の国力だけでなんとかしなければいけなかった当時のエネルギーが宿っている。帝国ホテル 京都も歴史的背景を伝える建物になってほしいという思いから、“歴史を語る素材と意匠”を三つ目のテーマに挙げました」

刺激的ながら粛々と進める初のホテルづくり

起用が決まった当時を振り返り、榊田さんは「非常に嬉しかった」と話します。

「我々のコンセプトとプロジェクトの目指す方向が合致したのはもちろんのこと、色々なご縁の重なりにも喜びを覚えました。例えば、1923年にフランク・ロイド・ライトによって帝国ホテル 二代目本館が建てられた際、内外壁には大谷石がふんだんに使われましたが、私は2020年より大谷石の魅力や活用可能性を広くPRする大谷石大使を務めています。また、もともと社寺をめぐるのが好きで学生時代には建仁寺や八坂神社などを目指し東山をよく歩いたものですが、そこでたびたび目にした弥栄会館と時を経て関わるようになったことにも運命的なものを感じました」

かくして帝国ホテル 京都の空間づくりが始まりました。

聞けば、新素材研究所がホテル全体の内装を手がけるのは本プロジェクトが初めてとのこと。プレッシャーを感じながらも、その日々は刺激に満ちているそうです。

「ホテルを設計する上での常識がないがゆえに軽々と飛び越えられたこともあり、逆に教えていただくこともある。帝国ホテル、現場の職人、我々が三者三様の意見を重ねながら、進行しています。

面白みを感じるのは、帝国ホテル 東京とは規模が大きく異なること。帝国ホテル 東京が651室の客室を有するのに対し、帝国ホテル 京都は55室。提供するサービスも違ってくるはずなので、発想をこれまでのものからジャンプさせる必要があるでしょう。帝国ホテルの方々は総じて帝国ホテルのサービスに対する想いが強く、期待に応えるため大量にデッサンを描いてきました」

“五大から五感へ”に込めた想い

話し合いを重ねた結果、デザインにおいては“五大から五感へ”を重視することを決めました。万物を形づくる5つの要素「空」「風」「火」「水」「地」を五大とし、これらを表層的ではなく本質的な素材として空間に置き換え、五感に訴えかけます。

「真に寛ぎを与える空間に必要なのは、単なるフォトジェニックなデザインではありません。木の香りがほのかに漂っていたり、調湿機能のある漆喰が室内の湿度のバランスを保ち快適を持続したり。そうした日本的な作法があればこそ、五感は安らぎます。46億年の地球の営みの中から享受してきた空、風、火、水、地を空間の中で体感することこそが大事だと考え、設計する上で特に素材の構成に心を砕きました」

帝国ホテル 京都が担う“時代を越える装置”としての役割

館内には弥栄会館にもともと使われていたものも含めて様々な日本の石が散りばめられています。そのうちの一つ「田皆石」について、榊田さんはこんな話をしてくださいました。

「田皆石を弥栄会館の貴賓室で発見した時は、大いに興奮しました。かつて沖永良部島で採れた石ですが、近くには南方特産の植物であるバショウをかたどったレリーフも見つかり、当時の南方志向を彷彿とさせます。実際、柳宗悦による民藝運動も然り、かつての京都には沖縄の文化に対する憧れがありました。要人を接遇するための部屋にこれらを置いたのは、何かしらの意図があってのことではないか。そう思い、帝国ホテル 京都においても多くの人の目に触れるところに田皆石を大胆に使おうと考えています」

そんな帝国ホテル 京都には「時代を越える装置としての役割がある」と、榊田さんは話します。

「帝国ホテルであることを示唆する大谷石も、最盛期には日本でもたくさん生産された大理石もそう。帝国ホテル 京都の空間に用いられる素材や意匠を通して、ホテルに訪れた人は歴史の壮大な時間軸に思いを馳せることになるでしょう。

人間が一般的に考えられる時間軸は50年とか100年かもしれませんが、建築の観点からライフサイクルを考えるともっと長いスパンになると思います。1000年後にどうなっているか考えると、視点は大きく変わる。平安時代に紫式部が東山の月を眺めていたことを想像し、それをデザインで表現するといった具合。我々が内装を手がける帝国ホテル 京都には、そうした仕掛けが無数にあります。滞在を通して、時間を遥かに超越し日本特有の文化が交錯する面白さを味わっていただけたらうれしい限りです」

花街文化の晴れ舞台・歌舞練場に寄り添って、
祇園の町に憩いを届けたもうひとつの舞台、弥栄会館。
堂々と聳えるその姿も、この地で愛されてきた記憶も失うことなく、
これからも誰かの物語を綴る舞台であり続けるために。

「弥栄会館」は「帝国ホテル 京都」へ。

令和八年、ふたたび開場。次は、あなたの寛ぎの舞台へ。