伝統と革新

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125年の伝統は、常に革新とともにありました。

125年の伝統は、常に革新とともにありました。

振り返ってみれば、130年以上におよぶ帝国ホテルの歴史は、まさに革新とともにありました。
1890年、近代国家を目指した日本の「迎賓館」の役割を担って、
政財界人らの働きかけによって生まれたのがそのはじまり。
発起人のひとりである渋沢栄一は「ホテルは一国の経済にも関係する重要な事柄。外来の御客を接伴して満足を与ふるやうにしなければならぬ」と述べています。
その言葉には「経済と道徳の融合」を目指した渋沢の切なる願いが込められていたのです。
その後、数々の「日本初」、「ホテル業界初」を導入してきた帝国ホテル。それは、サービスだけにとどまらず、スタッフが常にベストのサービスを提供するための社内の制度にまで及びます。
このページでは、これから帝国ホテルで働こうとしている皆様にぜひ知っていただきたい「革新」を、様々な面からピックアップしてご紹介します。

出典:『渋沢栄一伝記資料』第53巻

1890 帝国ホテル開業

1890 帝国ホテル開業

欧米との対等な関係を築くために
誕生した「日本の迎賓館」

明治維新の混乱も落ち着き、明治政府が、近代国家としての地位を築こうとしていた頃。十分な宿泊施設もなく、これでは、対等な外交関係などつくれない。そんな危機感を抱いた政府や財界人たちは、外交施設「鹿鳴館」の隣にホテル建設を計画。そうして誕生したのが「帝国ホテル」です。国の威信をかけ、外交の拠点のひとつとして活用された帝国ホテルは、「日本の迎賓館」という役割を担い、その歴史を歩み始めました。

1911 ランドリーサービスの導入

1911 ランドリーサービスの導入

日本初のランドリーサービスで
宿泊客の衣類を洗濯

開業以来、海外からの宿泊客が多かった帝国ホテルでは、長い船旅で困るのは着替えであると考え、ホテル内に自営の大型ランドリーを設置しました。このサービスは100年以上経ったいまでも高い評価を受けています。ポケットの中に私物は入っていないか、ボタンが外れていないか、シミはないか。ランドリーには、200種類以上のボタンが常備され、シミ抜きやアイロンがけの職人たちがスタンバイしています。世界各国の素材や民族衣装など、あらゆる衣類を知り抜いたランドリーサービスには、その評判を確かめようと、汚れた衣服を持参するお客様がいらっしゃることもあります。

1922 ショッピングアーケード

1922 ショッピングアーケード

ホテルに滞在しながら
買い物ができるアーケードを開設

ゲストがホテルの中で買物ができた方が良い。そんな、当時としては斬新な考え方を基にして生まれたのがホテル直結のショッピング街「アーケード」。これが、全国の商店街が採用しているアーケードの発祥です。軒を連ねたのは宝石店をはじめ、国産品をおもに扱う約20軒の店舗。ここにも「日本の真価を世界に紹介する」という強い信念がありました。このこだわりは、マリリン・モンロー、ベーブ・ルース、フランク・シナトラなど海外のゲストたちの心も虜にしたと言われています。

1923 ライト館開業

1923 ライト館開業

「ライト館」開業日に発生した関東大震災
大使館や通信社にスペースを開放

20世紀を代表する建築家 フランク・ロイド・ライト。彼が設計したのが帝国ホテル新館となる「ライト館」でした。1893年のシカゴ万博で、平等院鳳凰堂を模して建てられた「日本館鳳凰殿」からインスピレーションを受けたというデザインは、左右対称に構成され、日本建築史上最高傑作とも讃えられました。完成まで4年もの歳月を費やし、後に「東洋の宝石」と称されるまでになりましたが、開業披露当日に関東大震災に見舞われるという不運にも巻き込まれました。しかし大きな損傷もなく、大震災を耐えたホテルとしても世界に知られることになりました。震災を免れた帝国ホテルは、被災者の避難場所として客室を無料で開放したほか、各国大使館や新聞社・通信社などに仮事務所のスペースも提供しました。

1923 ホテルウエディング

1923 ホテルウエディング

ホテルではじめて
ウェディングサービスを開始

ひとつのホテル内で挙式と披露宴を行う「ホテルウエディング」。この文化を生み出したのも帝国ホテルです。神社での婚礼が主流だった当時、関東大震災により、日比谷大神宮をはじめ、多くの神社が焼失したことから、ホテル内に神社を設置し、挙式と披露宴をひとつのホテルの中で行うスタイルを誕生させました。これが、日本のホテルウエディングの原型になったと言われています。伝統を受け継ぎながら、時代に合ったウエディングを提案し、現在まで多くのご新郎様・ご新婦様の幸せを演出しています。

1933 上高地帝国ホテル開業

1933 上高地帝国ホテル開業

日本アルプスの地に
日本初の本格的山岳リゾートホテルを開業

当時の長野県知事からの協力要請を受け、日本初の本格的山岳リゾートホテルとして誕生したのが、上高地帝国ホテルです。穂高連峰、梓川、大正池など雄大な自然に囲まれた上高地で、贅沢なひとときを過ごす。都心部にある帝国ホテルとはまた違った趣が味わえることから、昭和初期の憧れの場として広まりました。登山愛好家からも愛される当ホテルは、スイスの山小屋風の赤い屋根と、ロビーラウンジの吹抜けに設置された巨大なマントルピースがシンボルです。

1958 バイキング

1958 バイキング

好きなものを好きなだけ食べる
「バイキング」スタイルの提案

スモーガスボードと呼ばれる北欧の伝統的な食のスタイル。これをルーツとして、「好きなものを、好きなだけ食べる」というテーマで誕生したのが、ブフェレストラン「インペリアルバイキング」です。実はこの「バイキング」という名前は、北欧の海賊が活躍する映画からとったもの。昼1200円/夜1500円と当時においては高額でしたが、連日大行列。その後、「バイキング=食べ放題の代名詞」として、日本中にこのスタイルのレストランが広まりました。2008年、オープン50周年を記念して8月1日を「バイキングの日」と制定。いまも変わることなく、楽しさと美味しさあふれる食の時間を提供しています。

1983 不動産事業

1983 不動産事業

ホテル業で初めて不動産事業を実施
売上に欠かせない事業の一つに

帝国ホテルの新館建設計画にあたって発足したプロジェクトチームでは、新館、すなわちインペリアルタワー(現・帝国ホテルタワー)が出来るまで様々な角度から検討をし、いくつもの計画案を練りだしました。その中で採用された形が「複合ビル」。賃貸のオフィスやショップフロアを併設し、大規模な不動産賃貸事業を営むのは日本のホテルでは初の試みでした。そこから歩みを始めた帝国ホテルの不動産事業部門は、今では当社の売上で重要な役割を担っています。

1990 週休2日制

1990 週休2日制

ホテル業界で初めて週休2日制度を導入

現在では多くの企業が取り入れている「週休2日制」。
1990年、帝国ホテルはホテル業界では初めて「週休2日制」を完全導入しました。これは、帝国ホテルを支えるスタッフを考えた上での働き方の革新とも言うことが出来ます。帝国ホテルの「革新」はサービスだけにとどまらないのです。

1996 帝国ホテル 大阪 開業

1996 帝国ホテル 大阪 開業

新たな一歩を、水の都・大阪で
「水・緑・花そして光と影」をテーマに
ゆとりある空間を創造

1994年、新しい空の玄関口として関西国際空港が開港し、国際都市としてさらなる発展が期待される大阪に新たな事業所として開業した帝国ホテル大阪。客室381室、レストラン6店、バー・ラウンジ3店、宴会場22室。大阪における「国際的ベストホテル」を目指し、大阪アメニティパーク(OAP)が有する豊かな環境と自然に調和した、明るく開放的なホテルとして、新たな一歩を踏み出しました。

2006 人材育成部の誕生

2006 人材育成部の誕生

人事部内に存在した
人材育成のセクションが独立

ホテルは「人」が要です。当時「ぴかぴかに輝く“人”がいる企業を創る」という方針のもと、人材育成部を新設しました。一つの部署が専門的に育成を担当するようになり、より幅広い社内育成体系をつくることができました。 新入社員研修はもちろんのこと、社内語学研修、階層別研修など、より手厚く充実した研修を実施。社員一人ひとりが“ぴかぴかに輝き”、一丸となって「国際的ベストホテル」を目指します。

そして、「伝統は常に革新とともにある」

帝国ホテルの歴史は、単なる時間の積み重ねではありません。
脈々と受け継がれてきた伝統を何よりも大切にし、
その一方で、 その時代、その時代の変化を感じ取り、ひらめき、
先見性のあるサービスや体制をいち早く導入してきました。
「変えるべきものを変え、変えてはならないものを守る」。
長年の歴史における様々な岐路において、私たちはその選択を常に繰り返してきました。
最も優れたサービスと、その先にある価値を生み出すために、一つのホテル、企業として、「革新」を重ね、 それがまた新しい「伝統」となり、受け継がれてゆくのです。
「伝統は常に革新とともにある」帝国ホテルはこの精神を胸に、
開業時からのDNAを次の世代にも引き継いでいきます。