キャリアパス

宿泊部
N.S.さん

1989年 専門コース入社

Profile

友人からの勧めで帝国ホテルを知り、1989年に入社。宿泊部でベルマンを務めた後、社内の留学制度を活用しスイスへ留学。その後は国際営業としてキャリアを積み重ね、海外赴任も経験。2016年からは宿泊部に戻り、現在は次長として国際営業の経験を活かした後進の育成にあたる。

「日本一の帝国ホテルで一緒に働こう」。
ある日、同級生から誘われた。

  • 帝国ホテルとの出会い
1988年(20歳)

ホテルマンを志して専門学校に進学しましたが、帝国ホテルのことは名前も知らず、他のグランドホテルで実習やアルバイトをしていました。当時、上高地帝国ホテルでアルバイトをしていた同級生から「就職するなら日本一の帝国ホテル!一緒に働こう!」と誘われ、そのときに初めて帝国ホテルの存在を知りました。

知るほどに増していく憧れ。
ここが自分の働く場所だと思った。

  • 入社を決意
1989年(21歳)

実際に帝国ホテルを見学してみると、ロビーは国際色豊かな社交場のようで、今まで見たことのない華やかな世界に圧倒されました。スタッフの方もテキパキと応対し、その“大人”な振る舞いに自然と憧れを抱きました。帝国ホテルのことを知るほどに、「ここが自分の働く場所だ」と確信するようになり、入社を決意しました。

帝国ホテル入社

  • 1989.3~1994.12
    (入社~6年目)

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    ベルマンとしてスタートし、さらなる成長のために留学へ。

    • 宿泊部フロントサービス(ベルマン)→人事部出向 (スイス留学)

    入社後に配属されたのは、宿泊部フロントサービス課(現:ゲストリレーションズ課)。お客様の荷物を運んだり、お部屋までご案内したりするベルマンを担当しました。お客様には海外の大統領や首相、大臣、王室の方などのVIPの方が多く、「これが日本一のホテルか」と改めて身が引き締まったことを覚えています。

    ベルマンの経験を4年ほど積み重ねて、入社時は得意ではなかった英会話もある程度できるようになりました。ただ、次のステップであるフロントを務めるには不十分で、ましてや日本一の帝国ホテルでその役割を担うレベルには達していないことも自覚していました。そこで英語力を向上するとともに、もっと海外の文化を知りたいと思い、社内の留学制度に応募した結果、スイスへ1年間留学することが決まりました。現地のホテル学校ではマーケティング、簿記、人事など、日本語でも難しいことを英語で学ぶのですが、授業や課題についていくために必死でした。でも、学友たちとの“オフ”のコミュニケーションが本当に大きな助けとなりましたね。結果的に言語だけではなく、海外の文化や生活などへの理解も深まりました。この1年間の留学は、今振り返ると私のホテルマン人生の大きな転機だったといえます。

  • 1995.1~2005.3
    (6年目~17年目)

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    ベルマンから国際営業へ。留学の経験も活かして。

    • 営業部国際課→営業三課→営業二課

    留学後に配属されたのは、宿泊部ではなく営業部国際課(現:国際営業課)でした。営業経験はゼロでしたし、スーツを着る自分を想像していなかったので、この配属に驚いたことを今でも覚えています。駆け出しの頃は何を売ればいいのかも分からず、当時の先輩から「帝国ホテルの営業は、1,000円のクッキーから1,000名の宴会まで売るんだ」と教えられたのが印象的でした。それだけ売るものが幅広く、覚えることばかりでしたが、ベルマンとは違うやりがいを感じましたね。また、受注した仕事を実現に向けて動かすのも営業の仕事。たとえば、VIPの方を招く際は部屋や料理の手配、スケジューリングなどを他部署と連携しながら細やかに調整します。滞在時は緊張感のある時間が続きますが、無事に終えたときの達成感は格別です。その実績を重ねていくほど“営業の楽しさ”が増していきました。

    留学先で身につけたことも国際営業の仕事にとても役立ちました。交渉や駆け引きのシーンでは、日本の場合はオブラートに包んで話すことが多いと思いますが、海外では直接的。会議の時間も短く、効率を何よりも重視します。そうした海外特有のコミュニケーションを留学時に肌で感じていたことは、大きなアドバンテージになりました。

  • 2005.4~2010.3
    (17年目~22年目)

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    ロンドンでの時間を通して、ホテルマンの視野が広がる。

    • 営業部営業二課(ロンドン案内所)

    次に配属されたのはロンドン案内所です(当時はニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンの3カ所で海外案内所を運営)。営業時代に、案内所の所長を務めたことがある先輩から、「帝国ホテルブランドの魅力を海外で発信する」という他の職種にはないやりがいを聞いて、将来は自分も海外案内所で働きたいと考えるようになりました。異動が決まったときは嬉しかったと同時に、国際営業としての10年近くの経験を最大限に発揮しようと思いました。

    当時のロンドン案内所は、所長である私と現地秘書の2名体制。10ヶ国以上の国々を飛び回って、企業を訪問したり、展示会に出展したりしていました。展示会では一流ホテルマンのプレゼンテーションを見て学ぶことが本当に多かったです。言葉の使い方や話し方だけではなく、スーツや靴などの見た目も参考にしましたね。周りに日本人がいない環境だからこそ、自分の力でクライアントと関係を構築できたときは大きな充実感を得られました。一方で海外の一流ホテル巡りや、そこで働くホテリエや営業スタッフとの出会いは、今でも自分のかけがえのない財産になっています。ロンドンでの時間を通して、ホテルマンとしての視野を大きく広げることができたと強く感じています。

  • 2010.4~現在
    (22年目~現在)

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    営業のマネージャーから、営業目線の現場のマネージャーへ。

    • 営業部営業二課→宿泊部ゲストリレーションズ課→宿泊部

    ロンドンから帰国後は営業部のマネジメントに携わるようになり、営業二課の支配人と課長を務めました。当初はマネージャーという仕事に慣れていなかったこともあり、プレーヤーになってしまいがちでした。ただ、それでは部下が育たないので、“任せるところは完全に任せる”方向に意識を切り替えるよう心掛けました。

    営業二課の課長を2年間務めた後は、宿泊部ゲストリレーションズ課の課長に任命されました。20年以上を経て、入社時に配属された宿泊部に戻ってきたことになります。「国際営業としての経験を宿泊部という現場の最前線で活かしてほしい」と会社からは言われました。宿泊部のスタッフには「こういうプロセスを経て、営業は海外のお客様を招き入れている」と積極的に伝えることで、よりお客様への理解が深めることができたと思います。現在は専門職の次長として、海外のVIPの方の接遇に際してのオペレーションや外交官との駆け引きなど、これまでの経験を後進に伝える役割も担っています。営業目線の現場のマネージャーとして、“国際的なセンス”を養うサポートをさらに進めていきたいですね。

帝国ホテルをアジアのベストへ。自分自身は“ほっとするホテルマン”へ。

  • これからの目標

大きな目標として掲げているのは、帝国ホテル 東京の再開発が完了する2036年までにアジアでベストのホテルをめざすこと。客観的に見ても、帝国ホテルは日本一のホテルだと思っています。ただ、まだまだ海外での知名度は低いのが現状です。まずはアジアのベストになって、今まで以上に世界中のお客様から選ばれるホテルにしたいですね。自分自身は入社からもう35年を経た今、ギラギラするのではなく周りを支えるポジションとして、社員からもお客様からもほっとしてもらえるようなホテルマンになりたいと思っています。