キャリアパス

調理部
S.W.さん

1996年 専門コース入社

Profile

1996年、「一流ホテルの料理人」をめざし帝国ホテルに入社。調理部に配属され、宴会場やレストラン、在日米国大使館などで腕をふるう。その後、鉄板焼「嘉門」、フランス料理「レ セゾン」でスーシェフを務め、日本料理「寅黒」のシェフに。2023年からは調理部レストラン調理二課の課長として後進の育成にあたる。

きっかけは父の一言。
めざすなら、超一流のホテル。

  • 帝国ホテルとの出会い
1995年(19歳)

幼少の頃からコックさんに憧れていたため、高校を卒業後、調理師の専門学校に進学しました。就職活動中、「ホテルのコックさんになりたい」と父親に話した際に、「働くなら、帝国ホテルのような超一流のホテルをめざしなさい」と言われたことが、帝国ホテルの存在を意識するきっかけになりました。

志望は帝国ホテル一本。
ここ以外考えられなかった。

  • 入社を決意
1996年(20歳)

元々は名前を知っている程度だった帝国ホテルですが、父の一言に背中を押されてからは明確な目標に変わりました。他のホテルには目もくれず、志望は帝国ホテル一本。すべてを賭けていたので、内定をもらったときは本当に嬉しかったですね。「この超一流のホテルで働くんだ」と身が引き締まる思いでした。

帝国ホテル入社

  • 1996.4~2006.8
    (入社~11年目)

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    「ホテルの料理人」としての心構えと技術を身につける。

    • 調理部レストラン調理課(M階キッチン)→宴会調理課→上高地帝国ホテル(調理)→宴会調理課→レストラン調理課(高島屋特別食堂)

    最初に配属されたのは調理部のレストラン調理課です。ルームサービスやバーの料理を提供することが主な業務でした。24時間交代制で勤務し、ただ料理を作るだけではなく、宿泊部などの関連部署とのやり取りに走り回るなど、「ホテルの料理人」ならではの仕事を徹底的に学びました。同時に、帝国ホテルをご利用するお客様のために、部署を超えて一丸となって働く大切さを実感しました。レストラン調理課では3年間働きましたが、今振り返ると、「ホテルの料理人」としての心構えを身につけた時間だったと思います。

    次の配属先である宴会調理課では、「ロータリーオーブンで肉と魚を焼く」という自分のポジションを与えられました。先輩のサポートではなく、はじめて「自分自身に任されたポジション」だったことと、数千人分の料理を一度に作らなければならないことから、“失敗が許されないプレッシャー”を感じながらも充実した気持ちで日々の仕事に取り組んでいました。その後、上高地帝国ホテルのスタッフとして2ヶ月ほど住み込みで働いたり、髙島屋特別食堂でコース料理を一通り任されたり、さまざまな環境の中で「ホテルの料理人」としての技術を磨いていきました。

  • 2006.9~2012.9
    (11年目~17年目)

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    一流のフランス料理を学び、料理の楽しさを再確認。

    • 調理部レストラン調理課(レ セゾン)

    入社11年目で配属されたのは、フランス料理「レ セゾン」でした。たくさんの経験を積んできたつもりでしたが、帝国ホテルの顔といわれるメインダイニングで働けるとは思っていなかったので、辞令を聞いたときは興奮と不安が入り混じっていたことを覚えています。キッチンに立ってからは、フランス語が飛び交う慌ただしい毎日の連続でした。一緒に働く同僚の技術はもちろん高く、「一流の職場で、一流のフランス料理を作っているんだ」と大きなやりがいを感じながら働いていました。

    当時から「レ セゾン」のシェフを務めているのは、3つ星レストランのシェフとしての実績があるティエリー・ヴォワザンです。配属当初はいわゆる“ホテルの洋食”しか調理の経験がなく、シェフが求めるレベルに応えられないときも当然ありました。そんな中でも自分なりの創意工夫を加えた料理を提案し、「おいしい」と言ってもらえる瞬間は本当に嬉しかったです。「料理って、こんなに楽しいんだ」。そう改めて感じることができたのが「レ セゾン」での大きな収穫だったと思います。

  • 2012.9~2016.7
    (17年目~21年目)

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    各国のVIPを料理でもてなす、帝国ホテルならではの経験。

    • 調理部レストラン調理課(嘉門)→在日米国大使館

    2012年9月からは鉄板焼「嘉門」の焼き手を務めました。このレストランではお客様の目の前で調理するので、姿勢や手さばき、応対など、いかにスマートに魅せられるかも求められました。さらに、お客様は各国のVIPの方が多く、常に緊張感を持って鉄板の前に立つ必要がありました。でも、元々人と話をするのが苦手ではなかったので、楽しさも感じながら調理していましたね。VIPの方を料理でもてなすことを通して、料理人としても、人間としても幅が広がった時期でした。

    これまでの経験を踏まえ、次のステップとして配属されたのは在日米国大使館の公邸料理人でした。大使とそのご家族、そして大使館に訪れる賓客に料理をご用意することが主な業務です。ホテルのレストランとはまったく違う環境で、時には自ら買い出しに行ったり、ペットの餌も作ったり、新しく刺激的な経験ばかりでした。大使のご家族との距離も自然と近くなり、クリスマスツリーの飾り付けを一緒にするなど、料理人の枠を超えて本当に思い出に残る時間を過ごせました。一つの勤め先にいながら、こんなに幅広い経験ができるのは帝国ホテルだからこその醍醐味だと思います。

  • 2016.8~現在
    (21年目~現在)

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    プレーヤーからマネージャーへ。帝国ホテルの名に恥じぬ料理を。

    • 調理部レストラン調理課(嘉門)→上高地帝国ホテル(調理)→レストラン調理課(嘉門)
      →レストラン調理課(レ セゾン)→レストラン調理課(B1階キッチン) →レストラン調理二課

    入社20年目を超えてからは、「嘉門」「レ セゾン」それぞれでスーシェフ(副料理長)を務めました。チームマネジメントを担う管理職のポジションなので、調理とはまったく違う能力も求められます。どうすればチームとしてうまく回るのかを考えることは難しい反面、今までにない充実感を感じていました。また、「嘉門」「レ セゾン」という憧れのレストランでスーシェフを担えたのは、自分の誇りであり大きな財産となっています。

    その後は帝国ホテルの歴史において初めてできた直営の日本料理店「寅黒」のシェフに。立ち上げから任された中、困難な部分も多くありましたが、帝国ホテルの新しい歴史を切り拓けたことは自分自身の大きな自信になりました。現在は課長として和食系部門の「寅黒」「嘉門」を管理統括し、さまざまな改善案を提案していくマネージャー的役割を担っています。すべてのお客様に「帝国ホテルの料理は、さすが!」と感動してもらえるよう、これからも帝国ホテルの名に恥じない料理をチーム一丸となってご提供していきたいです。

帝国ホテルにふさわしい料理人を育てるために。

  • これからの目標

今は管理職としてこれまでの経験を若手に還元しながら、帝国ホテルにふさわしい料理人を育てることが大きな目標です。一流の料理をご提供する帝国ホテルという環境であれば、調理の技術は自ずと磨かれるはずです。それに加えて自分から学ぶ姿勢があれば、もっと早く成長できるし、料理人としての幅も広がっていくと強く感じています。振り返れば、私自身もそういうキャリアを積み重ねてきたので、若手には“学ぶ姿勢”を大切にすることを積極的に伝えていきたいですね。